懐かしき昭和の時代 (夏の子供の遊び)
 夏休みは子供が一番楽しみな時、1ヶ月も休みが続くので毎日が日曜状態でした。
 宿題は”夏の友”と他に自由研究などでしたが何時も終わりかけに一夜漬けで仕上げるタイプなので先ず最初は遊ぶことからです。

 朝はラジオ体操に始まり、午後は水浴びに友達と連れ立って行きました。
 小学生の頃は家の近くの川を堰き止めてもらい泳いだもですが、中学になると遠く宮川の赤岩まで行ったものです。

 赤岩は上赤岩と下赤岩があり、普通は上流の上赤岩へ・・・
 勿論更衣室などは無く、草むらで海水パンツに着替えますが、当時海水パンツを持っている子供は少なく、
 ベルトに手ぬぐいを使ったふんどしスタイルが多かったように思います。
 
 泳げない子供はガキ大将から泳ぎの手ほどきを受け、たちまち泳げるようになりました。
 当時のガキ大将は面倒見が良かったものです。

 単に泳ぐだけではつまらないので、飛び込みも・・・
 また、澄んだ水で川底まで透き通って見えるので、石を投げて潜り競って拾ったりしました。
 長時間泳いでいると皆唇が紫色になり、岩の上で甲羅干しです。

 また当時はヤス(魚を突く銛)も使うことを許されていたので、
 谷川へそのヤスを持って行き岩魚を突いたり、細竹の釣竿を使ってメリケン粉を練った餌でアブラメ(アブラハヤ)を釣ったり、
 手ぬぐいでメダカのようなチリンコ(アブラメの幼魚)を掬ったりするのが晴れた日の日課でした。

 また私の家の前には水のきれいな用水が流れており、
 洗濯用に堰き止める板を使って水溜りを作り、手作りのゴム動力の木の舟を浮かべて遊んだものです。 
 
 夏の夕暮れは遅く、暗くなるまで遊んで疲れて帰ると夕食の後は直ぐに眠くなります。
 そんな毎日も長いようで短く、夏休みの1ヶ月などあっと言う間に終わってしまいました。

 そうそう飛騨の七夕は8月7日なので、その頃は花火大会も催されます。
 今は宮川河畔で打ち上げられる花火もその頃は北山公園で上げられ、仕掛け花火も趣向を凝らした動きで楽しかったものです。
 翌日の朝は不発花火を探しに行くことも忘れないで、星と呼ばれる花火の小玉を持ち帰って遊んだものです。

 また時期には蛍狩りや肝試しなどに興じたこともあります。
 蛍狩りには団扇や竹箒に虫籠持参で田んぼの畦を歩いて籠にたくさんの蛍を閉じ込めて夜遅くまで眺めたものです。

 夏の一時期だけ町内の子供相撲があり、ちょうど家の裏が公民館で、そこの空き地に土俵が作られました。
 何日か続けて星取表の結果で賞品が頂けるのですが、私は弱かったのでしょう、貰った記憶がありません。

 夏の暑い日にやって来るアイスキャンディーやアイスボンボン売りも楽しみの一つです。
 アイスボンボンとは長さ15cm程のひょうたん型のゴム風船の中に凍らせたジュースが入っていて、
 先に穴を開けて吸出しながら飲む冷菓です。
 アイスクリーム売りも時々来ましたが高価なためなかなか買ってもらえませんでした。

 とにかく夏休みは遊ぶことがたくさんあって子供なりに毎日が充実していました。
 夏休みの自由研究は普通は昆虫採集で、ワイシャツの箱にたくさんの標本を集めたのも勿論です。 
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by sikisai02 | 2014-03-24 00:03 | 懐かしき昭和の時代
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